スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

お別れ

ご無沙汰しておりました。

実は、去る10月30日に大好きな祖父が他界しました。
突然の出来事で、いまだに信じられません。

私は初孫だったこともあり、とても可愛がってくれました。
3歳で横浜に越してくるまでは祖父母の家の近所に住んでいたので、自宅にいるより祖父母の家にいる時間の方が長かったのではというくらい入り浸っていたそうです。毎日のように一緒に近くの羽根木公園に行きました。
横浜に来てからもしばらくは毎週末泊まりに行っていて、夏休み中はずっとそちらで過ごすことも。
祖母は家事があるので、外に遊びに行く時は必ず祖父と一緒でした。
大きくなってからはお互いに歴史が好きだったので、よく語り合いました。とっても詳しいんですよ。そして、歴史上の人物について知り合いってほどリアルに語るんです。
常に図書館で借りてきた歴史書や歴史小説が数冊ありました。私に合わせて平安時代の本も読んでいたみたいです。
そして、ずっと建築関係の仕事をしていて、いわゆる手に職を付けており、賞も取ったことがあるとかで、70歳くらいまで現役で働いていたんです「動けるうちは働きたい」と言っていて、年齢を若くごまかして雇ってもらったこともあるとか。
何よりもすごいのは、いつも明るいこと。透析を受けるようになってからも悲観的になったことがなく、透析の病院でも、週2回通っていたデイケアでも老若男女問わずいろんな人としゃべって、「面白いおじいちゃん」的に人気があったみたいです。かなり天然も入っていたのでデイケアで漢詩を読んだ時は、文学専攻の私に嬉しそうにプリントを見せてくれました。

8月に肺に水がたまって入院しました。でも、病院でもとても元気で食欲もあり、退院の日も決まっていました。
ところが、途中で薬を変えてから容態が急変。
祖母と叔父が先生から説明を受けると、「これ以上治療に耐えるのは難しいから、楽に逝かせてあげましょう」というようなことを言われたそうです。あと1週間程度だということでした。
もうすぐ退院だと聞いていたので、私たちはただただ驚き、泣きました。

報告を受けた翌日、母と一緒に祖父のもとを訪れると、栄養が点滴のみなので身体が重そうではありましたがとても死が近いとは思えない様子で、普通にお話しました。

祖父は4年ほど前から透析を受けていて、その影響で今回を含め何度か入退院を繰り返していました。
つらい治療だったと思いますが、最後は眠るように逝きました。握った手はまだ暖かく、涙が溢れました。
奇しくもこの日は退院予定の日でした。

最後のお別れは家族のみで行いました。
生前着ていたスーツを上に掛け、棺の中には愛用していた帽子、好きだった歴史の本や絵道具、家族の写真、手紙を入れました。
私は物心がついてから身内の死というものに直面したことがなく、最後に冷たい身体に触れた時や火葬が終わって骨になった姿を見た時はやはりショックを受けました。

姿は変わってしまったけど、これからもずっと天国から見守ってくれると思います。
私も心配かけないように元気に生きていかなければ

コメントの投稿

非公開コメント

ロミオとジュリエット
訪問者数
プロフィール

飛鳥

Author:飛鳥

名前:飛鳥
観劇(主に宝塚)、歴史、旅行をはじめ多趣味です→自己紹介


ご贔屓
水夏希さん、音月桂さん
貴城けいさん
坂本龍馬さん、新選組さん
堤真一さん、上原浩治さん
チョ・ソンモさん

コメント頂けたら嬉しいです

訪問先
リンク


リラックマのお部屋
お気に入り記事
オススメ商品
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
月別アーカイブ
カテゴリー
最近の記事
ブログ内検索
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。